午後一時五分。
法廷の扉は今だ難く閉ざされ、開く気配は無い。
時計と扉。その二つを交互に見たあと、御剣怜侍はため息をついた。行儀が悪いと知りつつも、ベンチに座ったまま足をぶらつかせてみる。
(お父さん、遅いなぁ・・・・・・。裁判、難しいのかな。)
午後一時六分。
一定の速度で時を刻み続ける時計と、いつまで経っても父を外に出してはくれない扉を再度見つめて、もう一つため息。既にここに座り始めてから、三十分はゆうに過ぎていた。
最初は、こんなに待つ気はなかった。ただ、休日まで仕事に行かなければならない父に、昼食を届けに来ただけだったのだ。しかし予定より裁判が長引いているらしく、半ば意地になって御剣は父を待ち続けていた。
午後一時八分。
自分は昼食を食べてから出かけたので平気だが、父はさぞ空腹だろう。
しかし裁判は、まだ終わりそうにない。
(どうしようかな・・・・・。受付の人に預けて、一旦帰った方がいいかな・・・・・・?)
ギュッ。
「え?」
服が変な方向にひっぱられている。
見ると、服の裾に小さな手がくっついていた。
視線をずらしていくと、小さな手は小さな腕につながり、最終的に小さな女の子がそこに立っていた。
可愛らしい、と形容するのが最も相応しい少女である。年はどう見ても三歳以下で、胸元に大きなリボンのついたワンピースを着ている。髪の色は白に近い銀色で、もし笑みを浮かべてポーズでもとったらそのまま雑誌の表紙になりそうなほど愛らしい。
が、現在少女の大きな瞳には、たっぷりと涙が詰まっていた。
「・・・・・・・・・パパぁ・・・・・・・・・・。」
周囲を見回すが、父親らしい人物はいない。どうやら迷子らしいのだが、御剣の服の裾をしっかり掴んで放してくれない。
「・・・・え、えと・・・・・受付ならあちらだが・・・・・・・・。」
言ってもわからないとは思いつつ入り口への方向を指差すが、やはり少女は離れようとはしない。震える手から、いつ泣き叫び出してもおかしくないような危うい緊張感が伝わってくる。
同世代より大人びているとはいえ、御剣はまだ9歳なのだ。目の前で女の子に泣かれたりしたら対処の仕様がない。
「パパ・・・・・・・・・・どこぉ・・・・・・・・・?」
無論知らない。が、それを言えば多分彼女は泣き出してしまうだろう。とは言えこのまま黙っていてもそれは時間の問題だ。
そもそもどうして裁判所にこんな小さい子を置き去りにしたのだろう。無責任極まりない。
少女の顔がくしゃりと歪み、瞳の光が揺れた。
これは泣く。もはや万事休すか。
と。
「おっ、可愛いなー。よしよし、泣かない泣かない。」
ぽす、と、唐突に誰かの手が少女の頭の上に置かれた。今まさに泣き出そうと息を吸い込んでいた少女が驚いて振り返り、つられて御剣も、少女を見るため下に向かっていた目線を上げた。
突然現れたその手の持ち主は、ひょいとしゃがんで少女の頭をわしわしとかき回した。少女は何が面白いのかけらけら笑っている。さっき泣こうとしていた気配はもうどこにも見られない。気まぐれなものだが、どうやら機嫌は直ったらしい。
少女を撫でているその男は、中高生くらいに見えた。休日にもかかわらず黒い学生服を着込んでおり、細身だがしっかりした体格をしている。いかにも「人が良い」とか「頼りになる」という言葉を当てはめたくなるような笑顔で、楽しそうに少女と戯れている。
ふいに男が顔を上げた。目が合う。
「妹さん?この子。」
「え・・・・・・い、いえ。迷子です・・・・・・多分。」
いきなり話しかけられて戸惑ったが、どうにか敬語で返す。年上には敬意を払え、と父に教わったのだ。
「ふーん・・・・・・じゃ、知らない子なのに面倒見てたんだ。偉いなー。」
「そ、そんなこと、ないです。さっき会ったばっかりでしたから。」
「あれ、そういや君も一人?お父さんかお母さんは?」
「お父さんが今、そこで裁判をしてるんです。それが終わるのを待ってて。」
「え!?てことは君のお父さん、犯人!?」
「ち、違います!お父さんは弁護士で・・・・・・!」
「・・・・・・・・ぱぱぁ・・・・・・・。」
はっと気付く。お父さんお父さんと連呼していたら、少女に父親のことを思い出させてしまったらしい。せっかく笑っていたのに、また泣きそうな顔になっている。
「おー泣かない泣かない。お父さん今どこだ?」
「・・・・パパ・・・・・いにゃい・・・・。」
「じゃ、一緒に待ってやるよ。パパが迎えに来るまで一緒にいてあげるから。」
「・・・・・・・・いっしょ?」
「おう。あ、そっちの君も一緒な。いい?」
「あ、はい。あ、ありがとうございます。」
心から御剣は言った。このまま少女とまた二人っきりにされるのも、さっきのように一人でいつ終わるか分からない裁判の終了を待つのも辛いと思っていたところだ。
「で、君、名前は?」
「御剣です。ミツルギ、レイジ、と。」
「レイジ君、な。おじょーちゃん、お名前言えるかなー?」
「めー!」
多分『メイ』と言いたいのだろう。そういえばこの子のさっきの泣きかけた顔はちょっと『トトロ』のメイに似ていたような気もする。それと同じ漢字だろうか。
「あの・・・・・・あなたは、なんと言う名前ですか?」
「オレ?」
御剣の問いかけに、男はニッコリと笑い、応えた。
「ケイスケ、でいいよ。名字は長いからさ。」
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続きます。
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