026: 愛を求めよ。
「彩、あの・・・・お願いが、あるんだけど・・・・・・あの、あのね。相性占いっての・・・・・・・その、頼みたいんだけど・・・・・・・・。」
その声に顔を上げると、同じクラスの友人がそこに立っていた。うつむいて、もじもじと両手を組み、人差し指同士をこすれ合わせるようにして回している。何か困った時などの、彼女の癖だ。
私は答える前に「フゥ〜・・・・」とため息をつく。別に呆れているわけじゃない。多少低血圧なため、人と話すときに自然とこうなってしまうのだ。いわばこれも、私の癖である。
「勿論、いいわよ・・・・・・。人相占いでいい?相手の写真とか、あるかしら?」
そう言うと、彼女の顔がパァッと明るくなる。
私、辻彩はその頃、彼女のその顔を見ることが何より好きだった。
幼い頃から、私の好きになる物語は恋愛物が多かった。
童話ではお姫様が王子様と幸せに暮らすエンドを好み、小説ならば女性視点のラブストーリーをよく選んで読んだ。
「やっぱり女の子だから」と両親には言われていたが、私自身がそのようにドラマティックな恋愛を経験することはなかった。中高ともに女子校だったのも原因の一つかもしれないが、とにかく私は恋をするという行為自体に憧れていたのではなく、誰かが恋をして幸せになるということに惹かれていたのであろう。
だからこそ、高校時代はよく友人の恋の相談を受けたりもした。その頃から恋愛とは別に占いも好きで、なおかつ詳しかったため、相性を占ってほしいという人も多かった。
彼女も、その一人だった。
相手は、近くにある共学校の一つ年上。文化祭でバンドをやっているのを見かけたのが始まりらしい。こっそり撮ったらしい写真を見せてもらったが、人相には特に問題はない。おそらく多少流されやすい所はあるが、自分で決めたことは貫く性格の持ち主だ。
一方の彼女のほうは、物静かで優しい子である。いつも控えめで、人の嫌がることでもすっと引き受け、掃除でも日直でも引き受けたからには嫌な顔一つ見せることなく丁寧に行う。そして、自分のしたことでいちいち相手に見返りを求めたりしない、とてもいい子だ。
けれど、その控えめさのせいでいまいち自分から何かをアピールすることが苦手で、そのため周りから正当に評価されないことも多い。そのことに彼女自身気付いているのだが、諦めているのと、言って相手を不快にさせたくないという気持ちから、つい自分を押し殺してしまうのだ。
私は、そんな彼女の欠点も長所もよく知っていたので、彼女がどうしたら恋を成就することができるか様々なアドバイスをした。とは言っても、私が言えたことはせいぜい占いのことだけだったのだが。
「・・・・ほら、眉の形がいいでしょう?こういう優しい曲線は、そのまま人への愛のあらわし方がいいってことなのよ〜〜。だから、この眉の形をなるべく維持して・・・・・・それから、その左頬のニキビはちょっとマズいわね〜〜。下手に潰すと後が残って、顔の相として固定されちゃうから・・・・・・フゥ〜〜〜、食事にビタミンCを多めに摂るようにして、自然に消えるのを待つべきだと思うわ・・・・・・。」
「そっか・・・・ありがとう。あと、ダイエットとかってすべきかな?ほら、私、顔が丸いし……何か効率的なのってないかな。」
「あんまり必要ないと思うけど・・・・あなたの場合、丸いんじゃなくって、アゴがあまり突き出していないのよ。
顔のラインがやわらかい印象の人は、男の人に安心感を与えやすいそうだし……そうねぇ、どうしても気になるというなら、半身浴なんかするといいと思うわ。」
「なるほど………わかった、やってみるね!」
彼女はよく私に、運気を上げるためにはどんなことをすればいいかと尋ねた。私の一番得意な占いは人相占いなので、必然的にそれは顔を美しく保つ方法へとつながっていった。
いつか彼に思いを伝えるために、と彼女が日増しに綺麗になっていくのを見るのは、私も嬉しかった。
恋をしている人を応援してあげたい。そして、その人に幸せになってもらいたい。
おとぎ話に出てくる魔法使いのように、私の手助けで彼女の恋が実ればいいな、と、そんなことを日々思っていた。
彼女はまた、恋にうつつをぬかして学業をおろそかにするようなタイプでもなかった。将来は法律関係の仕事に就きたいと希望していた彼女は、定期試験などでも常に上位をキープし続けていた。
「流石よね、本当に………この成績なら、女性政治家だって目指せるんじゃないかしら〜〜?」
「やだ、そんなこと言って……。それに、英語は彩の方が上じゃないの。」
「英語だけなのよね〜〜、私……。でも、大丈夫なの?」
「?なにが?」
「ほら、『彼』よ。バンドやってるそうじゃない。」
「うん、そうだけど………。」
「将来もし音楽関係に進むとしたら、確実にあなたの方が収入高くなっちゃうじゃない。最近、結構多いらしいわよ?共働きで、妻との収入の差を気にする男性って。」
「ちょ、ちょちょちょっと彩!そんな、何言ってるのよ!そんな、告白もまだなのに気が早過ぎるわよ!」
「あら、どうして?ウフフ……。」
「もう……!あ、ねぇ、彩は進路どうするの?」
「……私?」
突然の言葉に、私は驚いて訊き返した。
彼女は楽しそうに、そうよ、と笑ってみせ、
「栄養士なんかもいいわよね、安定しているらしいし。あと、彩は英語が強いから、通訳とか。何かもう決めてる?」
「……………いいえ、まだ、あんまり……。」
「そう?……あ、それとも占い一本でやってみるとか?大変かもしれないけど、彩、占い好きでしょう?」
「ええ…………。」
つい、言いよどむ。
占いが好きという気持ちに嘘はなかったが、それを自分の将来にそのまま繋げて考えることは、まだできなかった。
好きなことはたくさんある。でも、やりたいことが見つからない。
思春期にはよくありがちなことかもしれないが、私もまた自分の未来の姿というものを具体的に思い浮かべることができずにいた。
でも、どうせなら。と私は考える。
どうせなら、やりがいのある仕事がいい。安定ばかり求めるOLだとか事務職なんかじゃなくて、私にしかできないような仕事。そんな仕事につけたら素敵だろうなと、そんなことを漠然と考えていた。
でも、自分がどんな仕事ならばやりがいを感じるのか、その時の私はまだ思いついてもいなかった。
彼女は私のアドバイスによく従ってくれた。そのため、彼女の運気も少しずつ上昇しているようだった。私も彼女を応援するために、今まで以上に占いについて勉強したりもした。
だがある時、私は唐突に気付いた。このままでは、彼女の恋が成就することは絶対にない、と。
くしくもそれを知ってしまった次の日、彼女は私の所へやってきて言った。
「……あのね、彩。今日、朝の星座占いで1位だったの。髪も今朝はなんだか、いつもよりうまくまとまった気がするし、それに肌の調子もいいみたい。
だからね…………あの、私……………今日、行ってみようと思うんだ。」
照れと、そしてかすかな興奮で頬を少し紅くしながら、彼女はそう告げた。
今日、とうとう自分の中の『片思い』で止まっていた心を、『告白』へとつなげる決意をしてきたのだ。
昨日までの私ならば、覚悟を決めた彼女のその勇気をを称賛し、そして彼女に向けて最後のアドバイスをしただろう。
しかし、すでに「それ」を知ってしまった私は、どうしても声を発することができない。
私の返事がないことに気づき、彼女は不安そうな顔になった。そして、
「…………彩?どうしたの?もしかして……今日は、やめた方がいい日かな?」
と、おびえがちに尋ねる。私は慌てて、
「そんなこと、ないわ……。肌もそうだし、眉も唇も完璧よ。なにより、瞳………。あなたが、今日彼に必ず思いを伝えるって決めてきたって、その目を見ればわかるわ……。
占いはあくまでサポート……本当のあなたの意志で決めたことなら、運勢はそれに従うはずよ。」
「………ありがとう、彩!私、がんばるね、きっと………!」
そう言って笑顔を見せる彼女は、しかし両の人差し指を押し付け合うようにして回転させている。緊張から出ている、彼女のいつもの癖だ。しかし、それがいけない。
彼女の左手の人差し指には、第二関節のあたりにぼこりと突き出したこぶがある。
それは生まれつきのもので、彼女自身のコンプレックスともなっていた。人差し指を回す癖もおそらくそこから来ているのだろう。美容アドバイスのときにも目に付いたが、流石にどうにもならないと思ってあきらめていた。
けど、昨日理解した。本に書いてあったわけでも、誰かがそう言ったわけでもない。私自身が、直感のようにそれを理解したのだ。
あのこぶは、悪い運を寄せるもの。あのこぶがあっては、彼女の恋はきっと成功しない。
けれど、彼女に今それを伝えてどうなる?外科手術でもしなければ、あのこぶを指から取り除くのは不可能だ。
それに、いつも自分の心を抑え込んでしまう彼女が、今日ようやく一歩を踏み出す覚悟をしたのだ。今もしも彼女を止めてしまったら、次はいつになるのか分からない。もしかしたら、もうこんな決意なんてできなくなるかもしれない。
どうすればいいのか結論が出ないまま、放課後になった。
「近くに、彼がいつも寄るCDショップがあるの。そこで待ち伏せてみるつもり。」
「そう。…………一緒に、行きましょうか?」
「ありがとう。でも、大丈夫。もし来てもらったら、きっと私、彩に頼っちゃうから。」
「そう………。」
行くのを制止しても、静止しなくとも、彼女の告白は失敗する。どうすることもできない。
もしも、もしも今だけでも、彼女の運勢を変えることができたならば。叶うことのない思いを抱えて、私は一人焦る。
これは単なる占いだ。科学的な根拠もなければ、絶対にそうなるという証拠もない。こぶのことなんてただの私の推測、思い込みという可能性だってある。すべては私の杞憂で、何事もなく彼女は恋を成就させるかもしれない。
けれど、私にはまるで見えるかのようなのだ。
彼女の告白を受けた男は、最初にまず戸惑い、しかし彼女の美しさ、彼女の内側からあふれる愛のオーラを感じて、心を動かされる。
だが、どう答えようかと彼が視線をさまよわせた時、あのこぶが彼の目に入るのだ。
緊張した彼女は、ついいつもの癖で人差し指をこすれあわせながら回転させている。その仕草は自然と彼女のこぶを強調するだろう。そして、その様子と、指の醜いこぶを見て、彼は彼女が暗い性格なんじゃないかという印象を受ける。
それを引き金にして、彼女の内気な気性、自分の気持ちを強く表に出せない彼女の控えめすぎる面が一度に噴き出してきて、急に彼の目につくようになる。
また、指のこぶは、彼にギターのタコを連想させるだろう。そして彼自身のバンドでの練習量、本番までの日数などの事柄が次々彼の頭に浮かんでくる。
結果として彼は、今誰かと交際などしている暇はない、という結論を頭の中に出してしまう。そして彼女は、振られる。
何故、こんなことがわかるのか。理由など思いつかないが、わかってしまうのだからしょうがない。
けど、こんなのってないと思う。彼女の恋を誰よりも応援していた私が、彼女の不幸な未来しか見えてこないだなんて。
「じゃあ、彩。行ってくるね。」
そう言って、彼女はくるりと背を向ける。
歩き出そうとした彼女の背に、私は、
「……………待って!」
と、手を伸ばした。
今、彼女を引きとめたって、私に何ができるわけでもない。
けれど、手を延ばさずには居られなかった。彼女の、その左手の人差し指に向かって。
今だけでも、彼女のこぶを消すことができたら。私は強く願う。
シンデレラが、舞踏会のあの一晩だけ美しい姿に変身したみたいに、今この時だけでいいから、彼女の指をまっすぐにできたら。
視界がにじむ。
彼女の指へと向かう私の手が、やけにゆっくりと見える。
今だけでいいの。
告白が成功するまでの、ほんの短い時間だけでいい。
彼女の運勢を変えたい。
彼女の愛を叶えたい。
彼女の未来に、幸福をもたらしたい。
私の指が、彼女の指のこぶに触れる。
どうか。
私の手に、誰かの手が重なった。
………………『カシャンッ』!
………え?
今の音は、何?
「彩?」
彼女が立ち止まり、振り返った。
私の方を見て、不思議そうに首をかしげる。
「どうしたの?待って、だなんて………私、なにか忘れ物でもした?」
今の音が、彼女には聞こえなかったのだろうか。
まるでルービックキューブの面を一つずらしたみたいな、そんな音が確かに、彼女の手からしたはずなのに。
そう思ってから、気付いた。
彼女の指に触れていたはずの私の手は、なぜか私の胸の前にある。
そして、彼女の手は。
「あ……!」
こぶが、ない。
彼女が生まれた時からずっと奇妙に膨らんでいたはずの、ぼこりと突き出したあのこぶがない。彼女の人差し指は、ほかの指と同じように白くすらりと伸びていた。
「そんな………嘘………!」
「彩?大丈夫?」
言葉をなくす私に、彼女が再度声をかけてくる。
視線をあげ、彼女の顔を見る。そこには、不幸の影はどこにも見られなかった。
彼女が心配そうに私の方へと向き直り、両の指を組む。
彼女は自身の変化に気づいていない。けれど、その指の、なんと美しいことか。
私は、深く息を吸い込んだ。
何が起こったかなんてわからないし、混乱も全然収まってない。それでも、彼女に言わなければならないことがある。
胸に感じる確信と共に、私は口を開いた。
「………頑張って。あなたなら、絶対大丈夫。」
今のあなたなら、絶対に愛をつかめるから。
彼女はほんの少し驚いてから、嬉しそうに目を細め、
「…………うん!」
最高の笑顔で、そう答えた。
次の日、満面の笑みで昨日の報告に来た彼女の指には、やっぱりこぶがついていた。元の通り、まるで最初から消えなどしていなかったかのように。
そもそも、外科手術でもしなければとれないようなものが、あの一時だけ跡も残さずに消え去っただなんて普通は考えられない。単なる私の見間違い、と思うのが普通だろう。
けれど、私は確信している。あれは私がやったものだ。
告白の直前、私は確かに彼女のこぶを消したのだ。
なぜなら、彼女の恋は成就している。
彼と恋人同士になってからも、彼女は毎日私の席へとやってくる。ただし、私たちの主な話題はそれまでのような美容相談から、昨晩彼と電話でどんなことを話したか、に変わっていた。
その時の彼女の笑顔は、私の何より好きな、愛をつかんだ幸福な女性の顔だ。
本当ならば、彼女の恋は叶わないはずだった。
けれど、あの時こぶが消えたことにおって、彼女の運命は変わったのだ。
一度変化してしまえば、たとえ彼女の運勢が元の状態に戻ったとしても、運命は良い方へと向かってゆく。あの時の指の変化によって、彼女の未来は恋が破れる未来から、恋を得られる未来へと変わったのだと、私は考えている。
人の運命は、常に無数に存在している。
それを決定させるのは自身の意志であり、勇気であり、そして運だ。
私はあの時、彼女の運勢を変えたのだ。そして、彼女の未来を変えた。
何故そんなことができたのか、私にあの時何が起こったのか、今もまだよく分からない。けれど、彼女の笑顔を見ていると、私の変化も多分悪いものではないんじゃないかと思えてくる。
私の願いを叶えてくれて、彼女を幸せにしてくれたその力が、悪いものであるはずがない、と。
そして、そう思うようになってから時折見えるようになった、この銀色の腕も。
きっと、『よくないもの』ではないのだろう。なんとなく、そう確信している。
「それでね、彩。彼、やっぱり大学行くことにしたんだって。
すごく尊敬している先輩が、その大学でバンドサークルやってるらしいの。だから、その先輩とおなじ大学に受かるように、私に勉強教えてほしいって言うのよ。」
「あらぁ、よかったじゃない……。でも、あなたの希望校とは違うのよね、やっぱり……。大丈夫?」
「平気よ。そんなに離れているわけでもないし、今だって別の学校だけど、こうしているわけだし。それに、そのサークルでライヴやる時には絶対会いに行くつもりだから。」
「すごいわねぇ……フゥ〜〜、その熱意もそうだけど、『二人とも絶対合格する』っていう、その自信が。
まぁ、あなたが教えるんだったら、彼もきっと大丈夫ね。…………勉強以外の事までしていなければ、だけど。」
「やぁだもう、彩ったら!
………あ。そうだ。彩、結局進路はどうするの?三学期にはもう進路希望書が配られるし。」
「…………それなんだけどね。実は、留学を考えてるの。」
そして私も、未来を見据え始める。
「え!本当に!?そっか、彩、英語得意だもんね。すごい、なんかすごく、彩らしいね。」
「そう?まだ家族にも話してないんだけどね。……フゥ〜〜………これから、もっと勉強していくつもり。」
私の本当にやりたいこと。私だけができることを。
「色々大変になると思うわ。さすがに来年から、っていうのは無理だから、卒業してからになるでしょうけど。
行く国も、もう決めているのよ。」
「え、どこどこ?」
「……イギリスよ。」
私は笑う。
今の私の眼には確かに、私の未来が見えていた。
「イギリスで、資格を取るの。」
愛を求める女性に、美と幸福の運勢を与える、そんな仕事に。
そして私は、もう一人の私と共に、未来へと歩き出していく。
fin
------------------------------------------------------------------------------------
辻彩先生、スタンド発現秘話。
大人のお姉さんの高校生ぐらいだった頃の話って、なんかいいと思わないか。
運勢操作系のスタンドってシンデレラとドラゴンズドリームぐらいでしょうか。あとはポコロコ。
ああいう「幸運」をつかさどるような能力っていうのはたいてい自分がラッキーになるために使われるものですが、辻彩先生はそれを他人を幸運にするために使っているから余計に素敵なんだと思います。
BACK