093: 赤く染めろ。




 乾いた空気。
 皮膚に刺さるような風。
 前線基地近くに転がる死体。
 それらを踏み越えて前に進もうとしたとき、ふと足元に小さな花を見つけた。
 小さな花。あかい、小さい花。

 綺麗だな、と思った。
 そう思った瞬間、まだ自分は大丈夫だとわかった。



 タママにとっての初めての出陣先は、乾いた気候の惑星だった。そんなところで反乱分子を抑える為に毎日殺し合いをするのだから、たまったものではない。
 一日が終わるといつも自分の身体は赤い斑模様になっていた。返り血は全て乾燥してぱりぱりと肌に吸い付き、シャワーを浴びたいという誘惑に駆られる。もともとケロン人は湿気を好む体質なのだから、こんな干からびた惑星ではシャワーをあびたいという欲求は決して女々しいとは思われない。まあ、飲み水すらギリギリの状態では、当然無理な要求だが。
 ケロン人は水がなければ生きていけない。だというのにこんな土地に兵を送るなんて、軍は何を考えているのだろうか。現に今も脱水症状で幼児退行を起こす兵も大勢いる。その中にタママの同期も数名いた。特に何も感じなかったが、ああはなりたくないな、とだけ思った。

 自分の身体に付着した赤い粉末を見ていると、これがもともと液体だったなんて信じられなくなる。
 じぶんたちが、必死に求めている水分と同じだなんて。



 空も、地面も、空気すらも。この星の何もかもが赤茶けて見える。
 敵兵が随分少なくなってきた。そろそろ今日の戦闘も終了だろう。
 ずり、ずり、と足を引きずりながら前線基地へと歩いていく。今は基地の側にやってくる敵兵を撃退する程度で済んでいるが、いつ突撃命令が下ってもおかしくない。なんと言っても、自分たちは突撃兵なのだから。

 基地に近付くごとに死体は減っていくが、それでも注意しないと踏んでしまいそうなぐらいに敵も味方も転がっている。別に踏んでもいいのだが、躓いて転ぶのも面白くない。

(疲れた・・・)

 誰もが思うことを口の中で呟いた。きっとこの惑星の上にいるものは皆同じことを思っているだろう。
 いや、違う。思っていない奴もいる。今この戦いを、楽しいと感じている奴は。殺戮を喜びとしている奴は。きっとそんな奴は、疲れなんて感じていないのだろう。
 自分はそうじゃない。少なくとも、今は。



「あ。」

 うっかり声が漏れた。足を踏み出そうとした、その場所。そこに、小さなつぼみがあった。それは綺麗な緑色で、こんな乾燥した大地に生えているのがふしぎなぐらいだった。
 昨日見かけたあのあかい花とは場所が違う。第一、あれはもう上官に踏みつけられてしまった。部下が大勢死んだことより作戦が失敗した事でイラついている指揮官が前線基地の周りを歩いている最中に、うっかり。踏んだ当人はそれに気づいたとき、小さく舌打ちして憎々しげに顔を歪めていた。
 こいつはもう駄目だな、と思ったことを覚えている。


 さて、どうしよう?
 小さいつぼみ。明日か、明後日には花が開く気がする。だが恐らくそれまで生えていないだろう。葉っぱは乾いているし、明日もこんな天気ならばすぐに枯れてしまう。
 逆に言えば、もう少し水分さえあればどうにか生き延びられるという事だ。少なくとも花が咲く数日後までは。タママはどうしてもこの花が咲くところが見たかった。
 もう少し、水分が必要。土に染み込む水が。液体。


 ああ。
 あるじゃないか。

 目の前に。たくさん。



 タママはしゃがみ、すぐ側にある死体を触った。一応まだ温かいが、乾燥しているくせに蒸し暑いこの惑星の気候のせいで暖められたのかもしれない。まあ、どうでもいい。重要なのは血が固まっていないかどうかだ。
 腕を掴んで持ち上げる。同じ軍の兵ではない。別に罪悪感が薄れるというわけではない。もともと罪悪感なんて感じていない。
 左手で死体の腕をつかんだまま右手でナイフを取り出す。肉弾戦が主だったのでほとんど使っていない。新品同様の鈍い輝き。切れ味は落ちていないだろう。

 手首は、予想よりあっさりと切り落とせた。
 どぽどぽと赤い液体が噴き出し始める。タママはつぼみに血がかからないように注意しながら、腕を地面に置いた。
 どくどく、どくどく。むせ返るような血の香りの中で、地面に赤が染み込んでいく。もともと赤い地面があかく染められていく。
 それを、じっと見つめていた。


「・・・・どんな花がさくのかなぁ?」

 赤い花だったら綺麗だな。きのう見た花も赤かった。あの色の花だったらいいな。
 そもそも、血を与えた時点でこの花の色は赤と決まったようなものだ。随分昔、小訓練所の理科の実験で花に赤い色水を与えたことがある。白い花が咲くはずの花は、次の日赤い花を咲かせた。
 血を養分にしているのだから、この花は赤だ。もしかしたら、この土地自体血が染み込んでいて、だから花は全部赤くなるのかもしれない。あたり一面あかい花。綺麗だなと思った。


 花を綺麗だと思っているうちは。
 自分は、まだ大丈夫。

 明日にはどうなるか分からないけど。






 次の日、戦況は劣勢だった。下っ端兵の自分には詳しいことは良く分からないが、少なくとも指揮官が死んだ時点で不利と言って間違いないだろう。
 もう肉弾戦などといってられなくて、ナイフも拳もメチャクチャに振るう。むせ返るような血の香り。その中の狂気の香りに酔いそうになる。
 自分のような奴は、一番戦いの中の狂気に酔いやすい。そうして戦いを楽しむようになり、最後には単なる殺人マシーンに成り下がるのだ。
 自分がどうしたいのか、何がいいのか分からなくなる。感覚が麻痺して、頭も何もかも痺れていく。神経だけが研ぎ澄まされて、いま自分が生きているか、相手が死んでいるかがすべてになって、それから・・・・。




 あ。

 声には出せなかったが、視線はそこに釘付けになった。

 昨日の場所。きのうの、つぼみの場所に、見慣れない色があった。この惑星に来てから、見たことがなかったんじゃないかというような、色。


 青かった。
 昨日のつぼみは、青い花をさかせていた。



 うわあ。

 襲ってくるナイフをよけながら、それでも視線はそこから動かない。このままじゃ死ぬと脳のどこかが分かっているのだが、視覚神経は全力でその忠告を無視している。

 あおい、はな。
 それは、意外そのものだった。昨日は完全に花の色を赤と決め付けていたから。
 それだけでない。その青い花は、昨日自分が想像した赤い花よりずっと綺麗だった。

 知らない間に辺りは静かになった。さっき戦っていた敵どころか、周りに動くものがない状態になって、やっぱりタママはその花を見つめ続けた。

 真っ青な。
 空のような、海のような。

 あおい、はな。


 綺麗だと、思った。










「ぐんそーさん!こっちですこっち!ほぉら!僕が見つけたんですよー?」
「おお!絶景でありますな!」

 地球。その中の小さな島国の、小さな地域の、広い花畑。
 大好きな人と一緒に来るには絶好の場所だ。これで追いかけっこでも出来れば最高なのだが。

「ねー?きれーですよね!モモッチのおうちにある温室の花のほうが派手派手しくってずっと綺麗なんですけど、たまにはこんな野生満天の素朴な花もいいですよねー!」
「・・・タママ君、いつの間にやらそんなブルジョワ風なセリフを言うようになっちゃって・・・。」

 なぜかケロロがげっそりしたように言う。が、タママはそんなことお構いなしに花畑を駆け回った。

「タママ二等は花が好きでありますか?」
「はい!きれーでかわいくて大好きですぅ!」

 でも僕のほうが可愛いでしょ?というほどの勇気はなかった。肝心なところで自分は意気地なしなのだ。

「そーだ!ぐんそーさん、お花のかんむり作ってあげますぅ!」
「おお、いいねえ!冠、それは権力の証!かっこいーのつくってねー!」
「はーい!軍曹さんは何色の花が好きですか?」
「んー、だいたいどれでも好きでありますが。タママ二等の好きな色でいいでありますよ?」
「きゃーv軍曹さん部下思いー!」

 叫んでから、あ、と思う。自分の好きな色の花。それはあまりに小さかった。

「うーん・・・それじゃ、軍曹さんのお星様の色の黄色で統一しますねー。」
「あれ、いいの?好きな色は?」
「いいんです!僕の好きな奴だとちまっこくって地味ですから!」
「お、もしやオオイヌノフグリ?」
「はーい、ここにある青い花ってこんなちっこいのだけですから!」
「ほー、タママ二等は青色が好きなのでありますか。」
「別に色自体だったら紫とか黒とか緑も好きですけど、お花はやっぱ青ですね。青いお花自体珍しいですしぃ、高価ですしぃ。」
「・・・そーいう選び方はちょっと・・・・・。」

 軽い誤魔化しを真に受けたケロロを無視して、タママはお花畑にしゃがみこんだ。
 小さい、青い花。僕があのとき戦場で見た花よりもっと小さい。けど、きっとこの上に血をたらしても、この花は赤く染まらないのだろう。


 自分は、どうだろう。血の匂いのする場所に追い立てられたら、その場所の色に染まってしまわないだろうか。
 昔の自分は、いつ染まるかと怯えていたけど。でも、今はもう大丈夫な気がする。
 だって。



「花だって染まらないのに、僕が染まったらかっこ悪いじゃないですか。」


 小さな花に対する、ちっぽけな尊敬の情。

 悪くない。
 そう、思う。









-------------------------------------------------------------------
微グロ注意です。たまーに暗い話が書きたくなるんです、しかもタママ視点で。
ちなみに「花を咲かせる為に手首を切って血を流す」というネタは「カフェかもめ亭」という本から拝借しました。喫茶店で語られる短編というか連作です。





BACK