走った。
 ぐんぐんスピードを上げて、必死で走った。通りを歩く人たちが驚いたようにあたしを見ているが、知ったことか。
 さらに速く足を動かす。もっともっと速くと心に言い聞かせる。身体だけでなく心も走っていた。気持ちがどんどん先走って、パニックを起こしそうになる。だから気持ちに追いつくために更に速く走った。

 叫びだしたい。泣き出したい。実際泣いていたのかもしれない。頬は濡れてなかったが、熱かった。


『ドロロたちが一週間留守にしていたのは、ドロロたちの故郷に帰っていたからなんです。それで、帰るときに一旦私達の記憶を消していったんですって。』

 さっきまで並んで歩いていた小雪ちゃんの声が、耳に蘇る。

『はい、ドロロたちに関する記憶全部。そのまま忘れてもらうはずだったそうです。今回思い出せたのはたまたまで・・・・・え?何故って、掟だからですよ。
 ドロロたちは、故郷の掟に従って、私達の記憶を消していったんです。だから私も夏美さんも、一週間もドロロたちのことを覚えてなかったんですって。』

 あっさりとした表情で、彼女はそう言った。あの後すぐに走り出してしまったから、今頃心配しているかもしれない。けど、立ち止まる気はなかった。


 ただ、今すぐ家に帰って、あいつの顔が見たい。
 何を話すとか、責めるとか、そんなことすら考えずに、あたしはただ走り続けた。







なくした記憶と変えられないもの








「ギロロ・・・・・・・・ちょっと、聞いてくれる・・・・?」
「・・・・どうした、夏美。」


 昨日、ギロロと少し話をした。

 ギロロはいつものとおり庭にいて、テントの側に座り込んで銃を磨いていた。あたしは縁側に座って、その光景を眺める。夕日がギロロの赤い身体を更に赤く照らし出していて、すぐ側に猫ちゃんもいて。
 なんでもない、いつものおんなじ光景のはずなのに、妙に懐かしくて、そして切なかった。


「・・・・・・ギロロや、ボケガエルたちがいない間、あたし達、何してたと思う?」
「・・・・日向家内にも街にも損傷や戦闘の跡は見られなかった。恐らく、特に事件もなく平和に過ごしていたと思うが。」

 相変わらずの、いかにも軍人らしい返答にあたしは苦笑する。
 が、次の言葉をいう間に、その笑みは消えていった。

「・・・・・・そうよ。平和に、普通に暮らしてたわ。学校に行って、友達と話して、買い物して、ごはん作って、ママの帰りを待ちながら冬樹とごはん食べて、普通に・・・・・・何にも変なこと起きなかった。すごく平和だった。
 でも・・・・・・・・でも、変だったのよ・・・・・・!」


 ボケガエルたちのいなかった一週間を、今のあたしはよく思いだせない。大まかなことはわかるのだけど、何を思っていたか、何を考えていたか、という事になると、霞がかかったようにわからなくなってしまう。
 この感覚は少し前から続いていた。というのも、ボケガエルたちのいなかった一週間の間も、ここ一年ほどの記憶があやふやになっていたからだ。今は、一年間のことをはっきり思い出すことが出来る。ただ一週間分を除いて。

「ねぇ、ギロロ……。」
「………………。」
「あたし……この一週間、ずっと違和感を感じていた……でも、それが何なのかわからないまま、生活していた……。
 ………あたし、一週間、あんたたちがいないってことに気がつかなったのっ………!」

 ついに声を詰まらせ、あたしは叫ぶように言った。

 この一週間、あたしはボケガエル達がいないことを少しも考えていなかった。まるで、そんな存在元からいなかったみたいにふるまって、前と変わらないように生活していた。
 冬樹もほとんどボケガエルについて話さなかった。ただ、ボケガエル達が帰ってくる前日に、地下室でプラモデルを見つけて泣いていた気がする。その時何か叫んでいたと思うのに、なにを言っていたのかは思い出せない。

 あたしは、なにもなかった。
 何故いないのか、いつ帰ってくるのかと考えもせず、いないことに気づきさえしなかった。

 帰ってくるまで、ボケガエル達の事を全く覚えていなかった。


「おかしいよね……あんなに、一年も一緒にいたのに、いなくなった途端に忘れるなんてありえないのに……。
 ねぇ、ギロロ……あたし、どうかしてたのかな……?忘れるつもりなんてなかったのに、忘れたくなんてなかったのに………!」

 知らないうちに、涙がこぼれていた。
 

「ギロロ………ごめん……。忘れて……ごめんね………。」

 ただ、悲しくて。
 忘れて、思い出しもしなかった自分が嫌で、忘れてしまったギロロに申し訳なくて、ただ泣きながら謝った。


「………夏美………。」

 と、今まで黙って話を聞いていてくれたギロロが、ふいに動いた。
 何かを言いかけ、あたしの方へと手を伸ばし…………しかしためらってから、手をおろして、口をつぐんだ。

 そんなギロロの様子を見て、あたしの頭に何故か、2週間ほど前にギロロが言った言葉がよぎった。


 『これが本来の関係だ。
  俺たちは………敵同士なんだ。』


 ギロロが言葉を止めた理由は、あたしが敵だから。

 敵だから、仲良くしちゃいけない。ましてや、慰めたり、優しい言葉をかけたりしちゃいけない。


 夕焼けの赤い光の中、何も言わないギロロに見つめられながら、あたしはしばらく泣いていた。


















 心臓が爆発しそうなほどに痛い。足がもつれそうになる。
 それでもあたしは走った。自分の家と、ギロロの顔を交互に思い浮かべながら走った。

 ギロロの顔を見て、そのあと何を話したらいいのかは分からない。怒ったらいいのか、責めたてるべきなのか。それとも昨日のように泣けばいいのか、何一つ分からない。

 ただ、ギロロは知っていた。
 あたしがギロロ達の事を忘れた理由を、全部知っていた。

 知っていて、それを伝えなかった。


 ぐ、と歯を食いしばる。まだ泣いてはいない。

 普通に考えれば、あんなふうに突然今まであったことを全て忘れるなんてあり得ない。すでにあいつらの存在はあたしたちの日常の中に、完全に組み込まれていた。小雪ちゃんの言ったとおり、こんな不自然なくらい一度に全部忘れてしまうなんて、ボケガエル達が何かやったとしか思えない。
 でもギロロは、一言だって記憶消去のことを語らなかった。
 ギロロだけじゃない。ボケガエルも、タママもクルルも、誰も何も言わなかった。ただドロロだけが、小雪ちゃんにその話をしていた。
 ひょっとしたら、あたしが知らないだけで冬樹やサブロー先輩も、すでに全部事情を話してもらっているのかもしれない。だって彼らは、『友達』なんだから。


 あたしは。

 あたしとギロロは、友達じゃない。
 話もするし、一緒に過ごしてもいたけれど、『友達』と呼べるような関係じゃあない。
 『家族』と呼べるほど近くもないし、『知り合い』で済ませられるほど遠いわけでもない。
 あたしと、ギロロは。


 『俺とお前は、敵同士だ。』

 また、あの時のギロロの声が聞こえる。あの時は何も感じなかったはずの言葉が、今になって重くのしかかってきた。

 スピードを落とさないまま、道の角を曲がる。家は、こんなにも遠かったのだろうか。


 敵同士。
 そんなこと、わかっていた。わかっていたつもりだった。だからこそ、あいつらが侵略とかの悪だくみをしたらすぐに止めていた。
 ギロロ達は地球を侵略しようとしている側で、あたしはあいつらから地球を守る側。だから敵だし、戦う。それぐらいわかっていたつもりだった。
 けど。
 たとえ敵でも、あたしはギロロと仲が良かった。少なくともあたしは、そのつもりだった。『友達』なんて呼べはしなかったけど、一緒に戦ったこともあったし、助けてもらったこともたくさんあった。誕生日のお祝いを貰ったこともあったし、ママの代わりに運動会に出てくれたこともあった。熱を出した2週間前、ギロロはボロボロになりながらあたしのために薬をとってきてくれた。
 そんなことがあったから、たとえ敵同士であっても仲は良いと、信頼し合っていると、そう思っていた。


 けど。













 赤い屋根の家。見慣れた我が家の門をくぐり、カバンすら置かずにあたしは庭に飛び込んだ。

 そこには。



 なにもなかった。



 今朝まであったはずの、赤いテント。
 いつもお芋を焼いていた焚き火跡。
 縁側に座って武器を磨いていた、小さな赤い姿。
 そのすべてが、そこから消え去っていた。

 無人の庭は風で草をゆらつかせ、そこにいたはずの存在をかき消していく。地下にまだあいつがいる、という可能性を、無意識にあたしは否定した。荷物まで片付けるはずがない。ギロロは、出て行ったのだ。

 たき火もテントもないその庭は、一週間前の光景を思い出させた。
 あの時と違うのは、あの時は何もないのが当たり前だった、ということだけだ。


 信頼し合っていると、思っていた。

 けど、ギロロにとってそれはあってはならないことだったのかもしれない。
 軍人だったら、敵と仲良くなったり、助けあったりしてはいけないに決まっている。だからギロロは出ていった。これ以上仲良くなったりしないように。
 いや、そもそも信頼し合っていたと思っていたのはあたしだけだったのかもしれない。だって、ギロロは何にも言わない。大怪我をして帰って来た時も、今回の記憶消去のことについても。

 いつだって、大切なことは何一つ話してくれない。


 足もとに、小さな影が横切った。見ると、いつもギロロと一緒にいた猫ちゃんが来ていた。
 猫ちゃんは重たげな足取りで庭の中央、ギロロのテントがあった場所へと歩き、そこに座りこんだ。空を見上げ、なぁん、と一声鳴く。

 ひょっとしたらこの子も、あたしと同じ気持ちなのかもしれない。
 ふいに、そんなことを思った。


 走ってきた時にこらえていた涙は、もう流れなかった。
 猫ちゃんと同じように、空を見上げてみる。見えるのは、青空。カラッポを連想させるような、綺麗な空。昨日のような真っ赤な夕焼けには、まだ早過ぎる時間だ。





 もう、ギロロには会えないかもしれない。
 空を見ながら、あたしはそんなことを考えた。



























 ちなみに、おばあちゃん家のある山で修業をしていたギロロを発見したのは、それからわずか三週間後のことだった。









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 あれ、ギャグ落ち………おかしいな。こんなつもりでは。

 どうもこのペアは、他のペアよりもギャグ率が高いというか、感情が一方通行なせいか普段から噛みあわない感が強い気がします。
 でも、他のペアにない『矛盾』を一番強く抱えているのもこの二人。第二期始まったときにギロロが日向家から出て行った理由と、夏美たちがギロロ不在について何も言わなかった理由を色々と考えていった結果、こういう形にたどり着きました。
 だからこの後(「ギロロ よみがえったソルジャー」)で、ためらいなくギロロを止めに行った夏美ちゃんと、その後ちゃんと家に戻ってきてくれたギロロを見て、本当に嬉しかったです。


 そして、この次の桃華ちゃんの話は………原作でタママとの出会い話をやってしまったので、ちょっと発表できなくなりました。申し訳ございません。



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