目が覚めたとき、私は一人ぼっちだった。

 硝子のはまっていない窓から、朝の冷たい風が流れてくる。小鳥の声もせず、まるで静けさに起こされたかのようだ。
 目を開けたまま天井を見つめる。身動きしないまま、息だけを吐いた。

 また、夢。

 この3日ほど、目覚めはずっとこうだった。静かで、やけに悲しくて、そして寂しい。
 夢見が悪いのだろうと思うのだけど、何故だか夢は全く覚えていない。孤独ばかり強調されていたような気がするが、今更孤独を感じるわけがない。

 のろのろと起き上がり、身支度を整える。
 学校のスカートをはいてから、ふと窓の外を見た。外は明るくて、光に満ちている。


 今更孤独を感じるわけがない。




 都会に出てから、私はずっと孤独なのだから。







なくした記憶とかわした約束








「夏実さーん!一緒に帰りましょーっ!」


 思いっきり叫ぶと、校庭を一人歩いていた夏美さんが振り返った。ここのところ、彼女に元気がない気がする。

「あ・・・・小雪ちゃん。うん、一緒に帰ろ。」
「はいっ!あの、夏美さん?最近なんだか元気ありませんけど、何かあったんですか?私でよければなんでも相談に乗りますよ!病気とか怪我とか、悩みとか!」
「ベ、別にそんなんじゃなくて・・・・・・それに、小雪ちゃんこそ元気ないじゃない。」
「え?」

 そんな自覚は全くなかったので驚いた。いつも通り生活しているつもりだったから。なんにせよ夏美さんの心配を吹き飛ばそうと、私は笑って、

「私は大丈夫ですよ!これでも健康には気をつけてますから!なんたって・・・・・。」

―――――忍びは健康が第一ですから。

 そう言いかけて、慌てて口をつぐんだ。
 危ない危ない。忍びは主君以外に、自分が忍びであることを明かしてはならない。これは忍びの掟。

 と、そこまで考えて、ふと思った。

 私と夏美さんは、前からこんな秘密を持った関係だったろうか。
 もっとちゃんと、心を許し合っていなかったか。




『互いの全てを理解しあい、信頼し合える仲。そういう仲を、友と呼ぶのかも知れぬ。』





 誰だろう。こんなことを言ったのは。忍びの村の仲間だろうか。


「小雪ちゃん?・・・・どうかした?」

 はっ、っと我に返ると、夏美さんが心配そうに私の顔を覗きこんでいた。どうやらかなりの間ボーっとしていたらしい。

「あ、す、すいません!あの、本当に大丈夫ですから!
 そ、それより、夏美さんは本当に平気なんですか?あ、もしかして、弟くんに何か?」
「ああ、冬樹・・・・・・冬樹、最近へンなのよね・・・・・。」
「え・・・・・・・。」
「ううん、違うな。ヘンなのは、あたしも一緒。ここんとこ、妙に静かで、寂しい気がするのよ。」

 思わず叫ぶところだった。
 私もそうなんです、と。

「ママがいないのはいつものことだし、あたしと冬樹の二人だけっていう状況にだって、もうとっくの昔に馴れたはずなのよ。なのに・・・・・・。
 あたしより、冬樹の方がひどいかな。いつでもなんか上の空だし、部活動だってここのところしてないみたいだし。・・・・そういやアイツ、オカルトクラブ作ってたはずだけど、部員アイツ一人だけだったかしら?」

 私には答えることができなかった。弟くんが部活をやっていること自体初耳だった。


 夏美さんは弱々しく微笑んだ。自分自身を元気付ける為、というより、私に心配をかけない為という感じだ。

「こう・・・何か、足りないなぁ・・・って感じるのよ。でも、何かはわかんなくて・・・・。
 ほら、ちょっとした事ど忘れして、すっごく気になることってあるじゃない?きっと、あれと同じなのよ!だから日常には何にも問題ないし!」

 最初は小さい声で、後半はわざと明るく夏美さんが言った。
 不意に泣きたくなる。心配をかけまいとしてくれてるのは嬉しい。けど、辛いならそうと言ってほしい。

 忍びであることを隠している自分が言えるわけはないのだけれど。


「ホント、なんでもないのよ。すぐ馴れるだろうし、今だけだろうし・・・・。」
「・・・・・・・・私たちは、何かを忘れちゃったんですよ。」

 確信を持って、そう言った。夏美さんの足が止まる。

「・・・・・・・何かって、何を?」
「なにか、大切なもの。それがなくなったから、寂しいんです。」
「・・・どうして、そう思うの?」

―――――忍びの勘です。

 そんな言葉を、また飲み込んだ。秘密だらけの関係。探り合いの友情。
 こんなんじゃ、なかったはずなのに。


「いえ・・・・なんとなく、ですよ。」
「・・・・・・そっか。あ、いつの間にか、家ついちゃったね。」

 そう言われてみると、そこはもう夏美さんの家の前だった。

「小雪ちゃん、よかったら寄ってく?」
「ありがとうございます。でも、今日はいいです。」
「そっか。小雪ちゃんは偉いよね。あたしは冬樹と二人だけど、小雪ちゃんは一人暮らしだし。」



 ひとりぼっち。



「そんな・・・・・大丈夫ですよ!」

 意味のない言葉を繰り返した。夏美さんは薄く笑い、「じゃ、また月曜にね。」とだけ言って家へと入っていった。
 私は、しばらくその場に立ちつくしていたが、辺りに人がいないことを確認してから、軽やかに跳んだ。















 夜まで、特にすることもなかった。町をうろうろして夕飯の材料を買ったが、夏美さんもいないのに一人で都会を歩き回ることも出来ず、早々に家に帰った。
 電気もない家の中は、外の夕闇と同じ暗さだ。けど、こんな時間から蝋燭を使ってはいけないような気がして、そのまま座った。

 座ったまま目を閉じ、瞑想する。それからゆっくりと考える、頭の中に、いろいろなものが駆け回ってゆく。

 今日のこと。
 夏美さんのこと。
 夢のこと。
 そして、最近のこと。



 この一年間のことが、まるで霞がかかったかのようにぼやけていた。何かがあったのに、思い出せない。誰かがいたのに、忘れている。

 音のない家の中。自分が立てる音以外何もない。
 静寂というよりは、沈黙。
 沈黙というよりは、孤独。



 静かに、気を抜いた。これ以上考えたって、きっと何も得られない。
 月曜には英語の小テストがある。数学の予習もしなければならない。そう思って立ち上がり、カバンから教科書を取り出した。机に向かい、教科書を開いた。
 カサリ、という小さい音が、部屋中に響く。



 不意に、涙がこぼれた。


 動揺することはなかった。ただ、この無音の世界が怖かった。そして、誰かにそばにいて欲しかった。


 会いたい。
 でも、誰に?

 思い出したい。
 忘れていたことさえ忘れてたのに、どうやって?



 強く望み、その度にその願いを打ち消す。そんなことを繰り返すごとに涙はこぼれた。
 そして、涙が収まるころには月は高く上り、私は疲れ切っていた。そのまま濡れた教科書に頭を押し付け、目を閉じた。















 白い闇の中、誰かが私の名前を読んでいる。



『小雪殿。』

 だれ?私、どのなんてよばれたことない。私そんなんじゃないよ。


『小雪殿は小雪殿でござるよ。』

 ござる?変なの。昔のお侍さんみたい。忍びはそんな風には喋らないよ。


『恩義を果たさねば。』

 恩義だなんて。いつも助けてもらったのは私のほう。いつも側にいてくれたのはあなたの方。




『忘れないで。』



 ああ。
 そうだ。

 あなたはあの日、私にそう言ったんだ。

 「忘れてしまうけど」「それでも」って、泣きながら。



『どうか、僕のことを忘れないで。』





 わかってる。忘れないよ。

 だってあなたは、忘れられることが何より怖いんだから。



















 そして、私は目を覚ます。
 頭を上げ、家の中を見渡した時、やっと気付いた。

 何が足りないのか。
 誰がいないのか。
 毎晩見ていた、あの夢の意味。


 そして、感じた。
 この一週間、感じることのなかった気配。


 戻ってきたんだ。



 そう思った瞬間、私は家から飛び出していた。
 やっと思い出せた、彼を迎えに行くために。









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 そういうわけで第一弾。小雪ちゃんのあの一週間と、思い出した瞬間の話です。
 小雪ちゃんは唯一、ドロロにお別れを言いました。それを見て私は、「ああ、ドロロの奴堪え切れなくて帰ること言っちゃったんだろうなぁ。そんで記憶消去のことも喋っちゃったんだろうなぁ」と勝手に解釈したわけです。
 んで、ドロロは記憶消去のこと喋っておきながら、それでも小雪に忘れないでと頼むわけです。罪深い願いだと知っているけど、小雪が苦しむことはわかっていたけど、それでも忘れて欲しくないって言ってしまうんです。
 そして小雪ちゃんはそれを承諾する。そう考えていくと、別れのときの小雪の「ドロロのこと忘れないから」がすごく切なく聞こえて、発作的にこんな話が生まれたわけです。

 実は、何かしら5人分シリーズで作ろうと思い立つ時って、大抵ドロロかクルルで始まるんですよね。なぜかしら。



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