08:地球が地球だった頃
あの時、自分にとって、地球とは地球に過ぎなかった。
「うおのれぇぇぇぇぇぃ・・・・・我輩にこんなマネをさせるとは、許すまじ地球人・・・・・!」
皿を洗う手は休めぬまま、ケロロ小隊隊長ケロロ軍曹はブツブツと呟いた。
3日前、彼は4人の部下を連れてこの地球へ降り立った。が、原住民にあっさり発見され捕獲され、脱出したと思ったら武器を奪われ、なんと本隊まで撤退してしまい、やむを得ずこの日向家にて捕虜として生活することを決意したのだ。
例えこの身が滅びても、任務だけは・・・・!と言うケロロの美しい自己犠牲的決断は、しかし地球人の心には響かなかったらしい。原住民はケロロに、1つの大きな『条件』を出してきたのだ。
いわく、「働かざる者食うべからず」と。
要は肉体労働と引き換えに居住権を得よということである。それも、労働とは家事手伝い。軍人で男性で独身であるケロロに、この条件はあまりにも厳しかった。それでも背に腹は代えられず、今日までケロロはひたすら命令に従い続けたわけである。
が、ここで問題が発生した。
仕事が、増え続けている。
初日は確かに掃除だけだったのに、能力があるとわかってからはさらに洗濯、風呂洗いまで追加されてしまった。そして現在ケロロがやっているのは皿洗い。
このままでは、一生ここでタダ働きとなってしまう。軍人としてそれは死ぬより恥な気がする。
「ぬぅぅ・・・せめて、ケロボールさえあれば・・・・・。」
しかし、隊長のみ所持を許されるあの便利アイテムは、ここに来た時に原住民に没収されてしまった。今はここの少年ヒナタフユキが持ち歩いている。とっとと奪還してしまえば事は済むのだが、いかんせんその少年はケロロを「トモダチ」として見ているのだ。
まったく、愚かなことである。この家に入り込むのに都合がよかったから今でも表向き「トモダチ」となっているが、敵と友好関係を結ぶだなんて民間人にできるはずがない。しかし、一応この「ユージョー」を壊さずにいないと、あっさりと家を追い出されてしまうかもしれない。
「とは言っても、スキをうかがってる間にもずんずん仕事は増えてるでありますし・・・・ううう、、水ちべたい・・・・。」
春先とはいえまだ水は冷たい。これだから文明の未発達な辺境惑星は、一家に一台食器自動洗浄器も置いていないのか。
「ちょっと、まだやってんのボケガエル!?」
「どひぃっ!ナツミ殿!?」
振り返ると、そこには赤毛の地球人が仁王立ちしていた。
彼女はヒナタナツミという、この日向家の特攻隊長のような存在だ。メスとはいえ恐るべきパワーを持っているし、うまく家に潜入している自分に唯一警戒心を持っている。要注意人物だ。
なんと言っても注目すべきは、日常生活ですら発揮される戦闘能力の高さだ。今も、軍人である自分の背後に立つとは。
「・・・・・って、何がボケガエルでありますか!我輩の名はケ・ロ・ロ!ケロロ軍曹であります!」
「あんたなんてボケガエルで十分よ。何ならアホガエルにする?もしくはオソガエルとか。」
「・・・・他にもアサガエルとかゴゼンサマとかいる訳?」
「ったく、こんな仕事に時間かけてどーすんのよ。本っ当に役に立たないわねー。」
「シッケイな!我輩与えられた仕事はきちんとこなしてるであります!ただちょーっとこの家の流し台が我輩には高すぎて・・・・。」
「あんたが小さいのよ。ほら、そこどいて。あたしやるから。」
「・・・・・え?」
キョトンとする。今彼女は、なんと言った?
自分の聞き間違いでなければ、彼女はもしや自分を手伝おうとしているのか?
「何よ?変な顔して。」
「い、いやあの・・・・一応それは我輩に割り当てられた仕事でありますからして・・・・。」
「だから、そのアンタが終わらないからあたしがやるって言ってるんじゃない。能率の問題よ。・・・・ちょっと、手ぇ出しなさい。」
「はひ?」
「うわ、何コレ。真っ赤じゃない。あーもーカエルのくせに情けないわねー、ちょっと待ってなさい。」
言うと、ナツミはパタパタとスリッパを鳴らして走っていく。しばらくして帰ってくると、彼女はタオルを押し付けてきた。
「ほら、コレ!色が元に戻るまで、これしっかり握っときなさい!で、あたしが洗った皿をふいていくこと。いいわね?」
「りょ、了解であります・・・・。」
「まったく、カエルのくせに水仕事もできないんだから・・・・・。」
ブツブツ言いながらナツミは流し台に向かう。ケロロはしばし呆然として、自らの手元を見つめた。
たかがタオル。しかし、冷たくなった両手にそれはひどくあたたかかった。
ケロロは居候の身分。よって寝場所などは当然ない。
日向家の住民達がおのおの自分の部屋に帰っていくと、ケロロはママ殿より支給された毛布を持ってソファへ向かう。一日コキ使われた為身体は訓練の後のように強張っている。野外訓練や前線への出兵のお陰で、野宿であろうととりあえずどこでも寝れるようになった。どんな時でも睡眠は必要不可欠、特に任務中ならばなおさらだ。
と。
「軍曹、軍曹!」
「ゲロ?」
少々押し殺したような声。振り向くと、ヒナタフユキがドアの影で手招きしていた。
「おいでよ。いつもソファじゃ身体痛くなっちゃうでしょ?今日は、僕の部屋で一緒に寝よ。」
「・・・かまわんでありますが。」
「えへへ、姉ちゃんには内緒だよ。すぐ怒るし。」
いやはや。
全くもって、ケロロは呆れてしまっていた。民間人の緩みっぷりは知っていたつもりだが、まさか自らの部屋に招き入れるほどとは。これでは寝込みを襲ってくれ部屋を家捜ししてくれと言っているようなものではないか。
今まではきっちりと鍵を閉められていた為個人の部屋に入れなかったが、今夜ケロボールさえ取り戻せばこんな所一瞬で・・・・・。
「軍曹?どうしたの?」
「え、あ、何でもないであります!わ〜い、フユキ殿のおっへや〜♪」
「ふふっ、喜んでもらえてよかった。でもね・・・。」
階段を昇りながら、フユキは微笑を浮かべた。
「部屋に入ったら、多分軍曹もっと喜ぶと思うよ。」
当然だ。何しろ、ここから解放されるのだから。
「こっ・・・・・・これ、は・・・・・!」
一歩後退る。今自分の目の前に置かれている物体の存在をなかなか信じることができない。
直方形のよくある簡単で、かつシンプルな形。材質は紙だが、中のものを守るために厚い箱。さらにその表面に描かれているのは果てしない宇宙と、軍服を着たアニメキャラ。そして、デカデカと書かれた文字は・・・・・・・。
『ガンダムSE○D ストライクフリーダム 125分の1サイズ』
「いやっほぉぉぉぉぉぅっ!」
子供の頃から好きで好きで好きでたまらなかったガンプラを発見した喜びで、ケロロは3秒間中に浮いた。
「ど、どうかな?軍曹って外に出られないし、家の中で退屈だろうと思って、買ってみたんだ。プラモデル。気に入った?」
「マジスゲーよ!最新?最新だよオイ!ケロン星じゃ三ヶ月は待たないと入荷されっこないよこんなん!きゃー!パチくせーこの新主人公がまたいー感じー!うわ来てよかったよ地球!こんなんが時間も関税もかからず手に入るなんて、まさにパラダイス!」
「へぇ、軍曹ってプラモデル好きなんだ。」
「笑止!プラモデル、ではなくガンプラであります!ともあれフユキ殿、このような気遣い感謝するであります!もー我輩涙で前が見えないっ!」
「喜んでもらえて僕も嬉しいよ。軍曹。」
いうと、フユキは照れくさそうに頬をかいた。
「実はね、軍曹の好きなもの知ることができたっていうのも嬉しいんだ。まだ会ったばかりだし、軍曹のこともっと色々知りたいんだよ。好きなものとか、食べ物とか、昔の話とか。だから、少しずつでいいから、これから聞かせてね?」
「何故、我輩のことをそんなに知りたいんでありますか?」
「決まってるじゃないか。」
にっこりと、フユキは笑った。幸せそうに。
「友達だからだよ。」
フユキのその言葉に、ケロロはしばらく黙った。手の中の巨大な箱を見て、次にフユキの顔を見、最後はうつむいた。
聞かずにいられなくなって、ケロロは尋ねてみた。その問いが、フユキの『友達』という発言を肯定するとわかっていたけれど。
「・・・・・フユキ殿の好きなモノは、何でありますか?」
「僕?そうだなぁ・・・・宇宙人かな。」
「いやあの、突然なことを言われても我輩心の準備とか色々。」
「そ、そうじゃなくて!宇宙とか、そういうオカルト系全般だよ。他にも、ネッシーとか雪男とか河童とか幽霊とか。」
「ほほう、ぬりかべとか一反もめんとか砂かけババアとか。」
「・・・・・いや、別に妖怪に限定はしないけど・・・・ていうか、詳しいね。あとはUFOとかー・・・・あっ、そうだ!軍曹、ここに来る時に何に乗ってきた!?宇宙船だよね!?地球に降りる時は!?」
「おうっ!?ふ、普通のフライングボードを使用したでありますが・・・・。」
「フライングボード!?どんなのどんなの!!空を飛ぶ原理とか、エネルギーとかは!?やっぱり8の字飛行とかする!?」
「ななな何事でありますかこの異様な食いつきはっ!?」
ガッコンガッコンとフユキに揺さぶられながらケロロが叫び、うっかり舌をかんでまた騒いで・・・・。
それから二人は、一緒に笑った。
その後、ケロロはフユキと様々なことを話した。ケロロは宇宙の星々や地球を狙う星人について、フユキは地球で確認された宇宙人の詳細について山程しゃべった。のどが枯れるのではないかと思われる程話をした挙句、疲れて二人とも同じベッドに入って寝た。
しばらく経った頃・・・・・。
ゴッ! べちっ!
「イテッ!」
ケロロは悲鳴をあげて目を覚ました。起き上がるとそこは床。今まで自分のいたベッドからは、地球人の足が一本はみ出ている。
蹴り落とされたらしい。
「フユキ殿・・・・・寝相悪いのね・・・・・。」
とりあえず足をベッドの中に押し込んでやってから、ケロロは部屋を見回した。少し考えた後、一番目につく大きな本棚へ向かう。
今の衝撃で完全に目が覚めてしまった。フユキの本棚には難しそうな地球の本が色々あるようだし、暇潰しとして読ませてもらおう。
ゴスッ。べちっ。
再度ケロロは床とキスした。起き上がり、振り向いて目をこらすとそこには巨大な学生カバン。
暗闇で見えなかった為つまづいたらしい。
「ったくもー、カバンくらい片付けてよ!整理整頓は基本でしょー?フユキ殿もだらしの・・・・・・。」
独り言はあっさりと停止する。
そのカバンからはみ出した、ソレを見て。
暗闇であろうと見間違えるわけがない。それは、ケロボールだった。
驚きでするのを忘れていた息を、改めて吸う。駆け寄り手にとり、まぎれもなく本物であることを確認した。
これはケロボールだ。
ドクン、ドクン。
3日ぶりのその手触りに、鼓動が早くなる。
頭に響くその音は全てをかき消す程大きいのに、何故かフユキの寝息ははっきり聞こえる。
何を迷っている?そんな必要がどこにある?
武器は取り返した。これで仲間を集め、一気に地球を制圧できる。この家で捕虜生活を続けることもなくなる。
自分は軍人だ。現在は任務遂行中。任務内容は地球侵略。この青い星を攻撃し、ケロン星の支配下に置く。それが任務。
『ほら、そこどいて。あたしやるから。』
それが仕事。
『軍曹のこと、もっと色々知りたいんだよ。』
振り返る。ベッドの上では、相変わらずフユキが眠っている。
『決まってるじゃないか。友達だからだよ。』
どれほどの時間が経っただろうか。
・・・・やがて、ケロロは手の中のケロボールをカバンの中につっこんだ。手を離すことを少し躊躇い、中に手を入れたまま、しかし呟く。
「・・・別に、急ぐ必要はないであります、よな。どうせ本隊は撤退しちゃったし、これから我々が侵略してくんだし。
それに、拠点としてここを使うというのもアリでありますし。うん、前線基地。ここは安全だし、実験や解剖もないし、三食昼寝つきという好条件。悪くない。うん、悪くない、と思う。であります。・・・・・・だから・・・・。」
誰に言い訳するでもなく、しいて言うなら自分を納得させようと、でたらめな理屈を呟く。
「だから・・・・・・もうちょっとだけ、預けとくっつーことに・・・・しておくで、あります。」
奥まで入ったのを確認して、ケロロは頷く。そして、最重要の武器から手を放し、それが入ったカバンに背を向け、フユキのいるベッドにもぐりこみ、目を閉じた。
あの時。地球という星に降りたその日、自分にとって、地球とはただ『地球』でしかなくて。
自分にとって地球とは、任務先であり、侵略すべき星であり、軍の為にも全力で戦い敵を殲滅しなければならない場所でしかなかった。
なのに。
最近、それが少し変わってきた気がする。
fin
BACK